務台理作と再び出会う

 ある日、ふらっと入った新古書店務台理作『哲学十話』(講談社学術文庫)を見つけた。が、その時は他に目ぼしい本がなかったので、一冊だけ買うのも何だから買うのを見送った。なにせ105円の廉価本。一冊だけ買うというのも気が引けたわけだ。
 
 それからどうも落ち着かなくなった。3日後にもう一度その新古書店に出かけてみると『哲学十話』は売れずに書棚に収まっていたので、何かの本と一緒に買い求めた。
 
 家に帰るとベッドに寝っ転がってさっそくパラパラ読み始めた。手っ取り早く内容を知りたいと解説を先に読んだが、まったくぬるい文で要領を得ない。で、最初から読み始めるとこれが平明で分かりやすい文章でぐいぐいと引き込まれていった。
 
 務台理作といっても、まあ現代ではまったく誰のことだか分からないのが多数派ではないかと思う。同書の奥付を見ると、務台は1890年長野県生まれ。1918年京都帝国大学文学部哲学科卒。東京文理科大学教授、同大学学長、慶応義塾大学教授を歴任。1974年没。主著に『現代倫理思想の研究』『哲学概論』『現代のヒューマニズム』『人間と倫理』などと記されている。
 
 つまり、務台は西田幾多郎率いる京都学派の哲学(研究)者の1人というわけだ。西田の『禅の研究』を読み京大進学を志した務台は、西田をはじめ朝永三十郎(西洋近世哲学)、波多野精一宗教哲学)、深田康算(美学)、田辺元(科学・宗教哲学)など、京大哲学科の全盛時代を彩る錚々たる布陣から薫陶を受けた。
 
 西田哲学の根本の形は「動いて動かないもの」(場所の立場)と、人間が自分の死によって永久に消えていくことの自覚において、かえって自分の存在がわかるという思想に要約される、と務台は「哲学十話」のなかで述べているが、それは難解で知られる西田哲学を深く理解してこその要約といえそうだ。
 
 務台の二級下には将来を嘱望されながら治安維持法違反で検挙され終戦直後に獄死した三木清がいた。三木の下に戸坂潤、三土興三、谷川徹三林達夫高坂正顕西谷啓治など、後の京都学派を支える逸材たちがそろっていた。そんな西田門下生の中で務台は次第に西田の哲学を批判的に乗り越えようとしていく。戦後は安保闘争の時代の中で社会主義ヒューマニズムに自らの思想をシフトしていった。

 『哲学十話』は1960年代前後に執筆されたものを編集したエッセー集だが、務台は来し方行く末を淡々と語りながらヘーゲルキルケゴールマルクスフッサールハイデガーなどの思想遍歴を垣間見させてくれてとても興味深かった。特に実存哲学に影響を与えたキルケゴールについての件は読み応えがあった。『哲学概論」(岩波書店)をもう一度読んでみたくなった。