koujinのつぶやき その8

  
  最近の若い人たちは本を読まない。もちろんミステリーとかタレント本とかファッション誌とかガイドブックとかファミコン攻略本とかは読むのだろうが「古典」とか「外国文学」とかになると全然読まない。もう、みごとなくらい、まったく感動的なまでに、読まない。

内田樹さんのエッセー集からの一節だが、私はこうした傾向はなにも最近の若い人だけとは限らないと思う。大雑把ではあるが、古典などを読まない世代は団塊の世代以降の一般的な傾向なのではないかと思われる。内田さんはさらに次のように指摘する。

  彼らは、小学生のままの幼児的で自己中心的な自我のフレームワークの中に、TVや音楽やファッションやコンピュータ・ゲームやマンガやセックスやスポーツについてのトリヴィアルな情報をぎっしり詰め込むことを「情報の摂取」だと錯覚したまま成長する。このような子どもたちはもちろん大学でも何ひとつ学ぶことができない。そして無意味に過ぎた十数年の学校教育の果てに、低賃金の未熟練労働に就くことになるのである。彼らは「新しいプロレタリアート」である。彼らには社会的上昇のチャンスがない。彼らは権力からも利益の配分からもハイカルチャーからも情報からも阻害される。

こうしたかなりぬるい環境で成長した若者たちには明るい未来は約束されないというような手厳しい見方だ。まあ、例外も大いにあり得るだろうが、一般論としてはかなり共感を覚える指摘である。そして次のような結論を下す。

  すぐれた読書は私たちを見知らぬ風景の中に連れ出す。…ふたたび「もとの世界」に戻ってきたとき、私たちは見慣れたはずの世界がそれまでとは別の光で輝いているのを知るのである。…若者に必要なのは、この終わりなき自己解体と自己再生であると私は思う。…そのためには幼いときから「異界」と「他者」に、書物を介して出会うことが絶対に必要なのだ。…どれほどすぐれた物語であろうと『ドラえもん』だけでひとは大人になることはできない。

ちょっと長い引用になってしまったが、ここからが本題である。2月10日、映画オタクの友人と例によって新古書店巡りに出かけた。国道293号を東進。水戸市周辺のブックオフをぐるっとひと回りしてきた。まあ、いつものようにあちこちのブックオフを回りながら、ああだこうだとおじさん的思考による世間話を続けていた。が、事態は思わぬ方向に急転していった。

国道50号を西進していた昼下がりであった。前方から自転車に乗った若者が車道をこちらに走って来た。友人の運転はセンターラインとサイドラインの中央を走るという常識を知っているのか知らないのか知らないが、いつも左サイド寄りを走る悪癖がある(走行中にサイドミラーを電柱にこすった前歴がある)。私から見て正面に自転車の若者が迫ってきたので思わず「危ない!」と友人に注意を促した。すると大声を出すなんて危ない、と逆切れされた。私の声でとっさに危ないと右にハンドルを切ったにもかかわらず、左端を走行していた自分の落ち度はまったく棚上げである。

それからは左サイド寄りを走るのは危ない、と事あるごとに前方の車がどの位置を走っているかの実例を示して中央を走れよと諭したが、Keep the left と教習所の教官に教わった、とまったく譲らない。Keep the left というのは単に車は左側を走れという意味で、左端を走るということではない、と口を酸っぱくして言っても「兎に祭文」「犬に論語」「牛に経文」「馬の耳に念仏」。まったくあきれ返った。それに、見るからにメタボだというのに、昼にはファーストフード店で牛丼を食べ、食後には人工甘味料たっぷりの炭酸飲料水を飲み干した。運動不足でメタボになったにもかかわらず、いい年をして若いころからの食習慣を改めようとしない。まったく何を考えているのやら。

更に、以前から気になっていたのだがこのおじさん、ブックオフでは映画のDVDの棚、音楽CDの棚を見た後に単行本などの棚でお気に入りの本などを探すのだが、どうやら密かに「トンデモ本」の類も買い込んでいるようだ。見咎めた私が、そんなつまらん本はやめろ、と言っても「馬耳東風」だ。人に迷惑をかけていないんだからいいじゃないかと、またまた逆切れしてむかつくあり様。

そんなこんなで帰りがけまでああだこうだと言わなくてもいいこと(ちょっと口が滑ってしまった)まで言ったりしたせいか、このメタボのおじさん、今回は相当むかついていたのが手に取るように分かった。

物事を否定するのはだれでもできること。肯定的に受け止めるにはその事柄を理解する知性が必要なんだよ。協調性の無いこのメタボのおじさんには内田さんの次の言葉を送るから、胸に手を当てて己が来し方行く末を静かに考えてほしいと切に願う。

  「他者からの敬意」なしに人間は愉快に生きることができないというのは社会生活の原則である。…もちろん、ただ食べて生きていけるのなら、べつに「愉快」じゃなくてもいいという人もいるだろう。…「誰にも迷惑かけてないんだから、いいじゃない」…おっしゃるとおりである。…ただ、そういう人には、この先どういう生き方を選ぼうとも、「他人の理不尽な欲望にこづきまわされて暮らす」未来しか待っていないと私は思う。…社会生活において十分なレスペクトが得られない人が、他人の自尊心を傷つけることでバランスをとっているのかも知れない。

内田樹さんからの引用はすべて『「おじさん」的思考』(晶文社からのものです。