男抱山に登る

 




 


 


 9月3日、宇都宮市北西部の小さな双耳峰、男抱山(338m)に登った。今年6月にも登ったが、今回は私にとっては珍しい動植物がみられたのがうれしくもあり、収穫だった。

 男抱山は登山口から30分ほどで山頂に到着できる手ごろな里山である。頂上からの展望は360度で南東方向に田園風景に囲まれた宇都宮市中心市街地、その先に八溝山系の筑波山加波山が遠望できる。南西に多気山、古賀志山。冬場は悠かなたに富士山を望むことができる。北西に半蔵山。北東に篠井富屋連峰(宇都宮アルプス)。その先には高原山が望める。

 登山口から5分も緩やかな登りを進むと、日蔭の道端に白色地に紫色の斑点が特徴のホトトギスの花が咲いていた(写真上)。その後もホトトギスをあちこちで見かけたが、中にはつぼみのものもあり、ちょうど開花時期に当たっていたようだ。花の紫斑を夏鳥ホトトギスの胸の横縞模様に見立てて杜鵑草の名がある。

 金毘羅様の鳥居をくぐって急登を行くと上空を猛禽類が2羽舞っていた。たぶんトビのつがいだと思うが、尾羽が扇型に広がっていたので、あるいはノスリかもしれないと思ったが、デジカメの不鮮明な映像なのでとても断定はできなかった。

 山頂直下の明るい岩場でアオダイショウのものとみられる抜け殻を発見。鱗の形が生々しくてとても財布に入れる気にはならなかった。その後、鬱蒼としたスギ・ヒノキ林を歩いていると本物の生きたアオダイショウと遭遇した。体長1メートル余り。何か大きな獲物を丸のみした後らしく、口のちょうつがいが少し外れた状態だった。それでもこちらが近づくと鎌首をもたげて威嚇してくるではないか。こっちは争う気は毛頭ないのでそっと迂回してその場を立ち去った。付近にはイノシシのぬた場のような水たまりがあり、ひずめのような跡が残っていた。

 東峰の男抱山から西峰の富士山(330m)へ登り返す。山頂直下のアカマツ林では、そこかしこに真新しい「エビフライ」が散乱していた。ニホンリス、モモンガ、ムササビなどが食べたのだろうか? 食痕からだけでは何とも判定できないのが残念。富士山山頂の岩場では、テンのものらしいフンが鎮座していた。この落し物はテリトリーを主張している姿なのか? たぶんそうなのだろう。

 コナラ、クヌギ、リョウブなどの落葉広葉樹林からはメジロヤマガラシジュウカラなどの声が響いてきた。枯れ木には蝶か蛾の幼虫がたかっていた。なんか秋の気配が伝わってきたなぁと汗をぬぐっていると、西の空がにわかに鉛色になり遠くで雷鳴が聞こえる。間もなくスコールのような雨が激しく降り出した。大汗をかいて移動していたのですっかりクールダウン。恵みの雨となった。
 
 今回見た動植物はすべてが生物間相互作用で結びついている。でも、その一つ一つの種間関係を解明することは難しい。ちょっと観察しただけではとても分からない。定期的に訪れて少なくても3年ぐらいの観察データが必要だろう。事程左様に自然生態系は複雑で多様性に富んでいる。まあ、そんなところですね。
               
                        ◇
 
PS:「私をそれほど想ってくれるのなら、その想いの数々を恋文にしたためて毎日明の六つにその恋文を燃やしてください。あなたが心変わりしなければ、その恋文は紫色の煙を上げて燃えるでしょう。私はそれを男抱山の頂上から眺めて満足致します」―。

 男抱山には悲恋の「男抱山物語」が伝えられている。江戸時代、元禄のころ、白沢宿(宇都宮市河内町)の美しい乙女・きし江と徳次郎(宇都宮市西根町)に病気療養に訪れていた江戸の妻帯者・甚九郎とが、ふとしたことから知り合い、互いに純真な愛情を感じるようになった。が、その純愛は長くは続かなかった…。

 きし江の姉がその恋文を見てしまい、驚いて恋文に水をかけてしまった。何も知らぬきし江はいつものようにその恋文に火を付けたが、湿り気を帯びていたために恋文は紫煙ではなく白煙を上げて燃えた。それを男抱山から見た甚九郎は思案の末にひそかに江戸へと立っていった。

 事の意外に驚いたきし江は男抱山に駆け付けたが It too late. 悲嘆にくれたきし江は三日三晩、食も摂らずに恨めしい白煙を望みながら山頂の露と儚く消えたという(「宇都宮の民話」より)。

 男抱山山頂の祠は縁結びの社とされ、女性が密かに詣でて叶わぬ思いの相手方の方向を望めば想いは届く、と伝えられている。