koujinのつぶやき その2

 先日、友人とつくば西武で開かれた古書市に出かけた。ミニミニ古書店が縁日のようにずらりと軒を並べて客の入りもまずまず。中高年らがトレジャーハンターよろしく「探書の林」に分け入る姿がなんとも微笑ましかった。

 この古本市に出かけたのは昨年に続いて2回目。昨年は、金に糸目はつけないマニアックな本づくりが嵩じて倒産の憂き目にあったりしながらも立ち直りを見せている不屈の出版社・平凡社の『世界宗教大事典』をゲットさせていただいたのがとても印象深い。何せこの本の定価は23,447円。それがなな何と1,050円。ちょっと難はあるものの捨て値も同然。この記憶が脳裏に焼き付いて離れないので今年も出かけてみた次第だ。

 6F催事場の一角に茨城県内をはじめ千葉、埼玉、栃木などの近隣各県から10店ほどが出店。今回は総じて余り安くもなく、最もポピュラーな分野である文学・歴史関係の古書が大半だった。それでも『秋月龍眠著作集 11』(三一書房)、大石又七『ビキニ事件の真実』(みすず書房)、野間宏親鸞』(岩波新書)の3冊をゲット。まあこんなところかなと、相方を促してその場を切り上げた。

 今回は初出店なのか○○○○堂という古書店が出店しており、今がブームの原発本のたぐいを法外とも取れる値段を付けて売っていたのがちょっと気になった。あの広瀬隆さんの『危険な話』が一部でブームとなった? 1970年代に出版された技術と人間社、勁草書房緑風出版などの原発関連本がかなりの高値で売られていたのだ。1000円、2000円は当たり前。中には10,000円の値が付いたモノもあった。そんな古本が10冊ばかり並んでいた。

 原発関係の本は、一応は科学技術のカテゴリーに入るわけで、30年以上も経てば歴史的意味などはあるかもしれないが、一般に内容的には古くてあまり参考にはならないのが相場だ。学術書ならともかく、売られていたのはいずれも一般書のたぐい。一冊を手にとってぱらぱら目次などをめくってみたが、現状に役立ちそうな情報はほとんど無かった。

 どうもこの古書肆、今なら原発本は高く売れると踏んだようだ。しかし、それは考えが甘すぎたようだ。古本屋を訪れる客は好事家、コレクターの類は別として、自分にとって役に立つ書籍(情報)を求めてやってくる。ブームの原発本の類が並んでいるとはいえそれはしょせん古本。技術情報が古すぎてはおいそれと購入することはほとんどあり得ない。技術史を研究している方にとっては多少食指を動かされることもあるかとは思うが、こんな高値ではおそらく手にとってみても購入することはまず無いだろう。

 それに、これらの本はいずれも半端なモノばかり。高名な反原発論者の著作集のうちの1冊など、その理念は汲み取るべきだとは思うが、如何せん内容が古すぎる。これを当時の定価の3倍もの価格で売ろうというのだから恐れ入る。期間中、これらの本は一冊も売れそうにないことは素人でも直感的に分かるというものだ。

 さて、お昼を過ぎていたので牛久市の回転ずし店で空腹を満たし、次は柏市方面のブックオフへと車でさらに足を延ばした。

 柏市周辺のブックオフ各店では、まあ相変わらずのラインナップではあったが、学生運動も佳境に入る1968年ごろにかけて出版されて現在は絶版の『マルクス・エンゲルス全集』(大月書店)が書棚の一番上に横2メートルぐらいの幅で鎮座していたり、『宮沢賢治全集』(筑摩書房)が1冊105円で並んでいたりして、けっこう目の保養になった。ここではR・ドーキンス『ブラインド・ウオッチメイカ―』(早川書房)、中村浩『植物名の由来』(東京書籍)などを購入した。

 古本屋といわゆる新古書店を同列に扱うことはできないとは思うものの、こうしてみると、古本の値段なんて在って無いようなものだなぁと、つくづくと実感させられた。だから先の原発古書はそれなりに仕方がない値段の付け方なのかとふと思ったりもするが、やはりそれはそうではないと言いたい。要はモノの価値観には大いに個人差があるということなのだろうが、自ずとそれにも「適正価格」とも言うべき常識ラインが厳然と存在すると思いたい。まったくもって世知辛い世の中である。