聖泉と双幅の江戸彼岸






 





 





 
 かつての「聖泉」は、里山の中腹に人知れず朽ちた姿を残していた―。

 日光開山で知られる勝道上人の産湯を汲んだとされる沢伝いの泉の跡。草むした急斜面の山腹に二坪ほどの陥没のような跡がみられ、その右上には史実を記す碑がひっそりと立っている。

 「(栃木県)真岡市の文化財」などによると、勝道上人は天平7(735)年4月、栃木県芳賀郡高岡郷字卯ノ木花錫杖獄(現・真岡市高岡259、仏生寺境内)に、下野国府の次官若田高藤介と芳賀郡高岡吉田主典の娘明寿との間に誕生した。

 二十歳の時の出流山万願寺(現・栃木県栃木市)の洞窟での修行に始まり、勝道上人は後に日光での苦行を重ね、山岳信仰の基礎を築いたとされている。

 山門の両脇に樹齢800年の大ケヤキ(栃木県指定文化財)一対を配した仏生寺は、大同元(806)年に建立。勝道上人が生まれた場所とされており、「聖泉」はその証と伝えられている。

 昭和32年、仏生寺は栃木県指定史跡に指定された。ここは各種文化財でも知られている。平安時代後期の作とされ、薬師堂に安置されている秘仏の木造薬師如来坐像(栃木県指定文化財)、南北朝から室町時代の作とされる金銅勢至菩薩立像(同)、鎌倉時代中期の作とされる木造十二神将像(同)など歴史的な多くの遺産が残されている。

 山門から少し東へ進んだ里山の裾野にたおやかに並び立つ2本の江戸彼岸(真岡市指定天然記念物)は、樹齢200年の古木。勝道上人の産湯を汲んだと伝えられている「聖泉」跡を見守るかのように佇んでいる。